かえつ有明の「思考力入試」で問われる「思考力」とは
かえつ有明の思考力入試には二つの形態があります。一つはクリティカルシンキングをベースにしたサイエンス科主体のもの、もう一つは、「知のコード」プロジェクトが中心になって、対話のプロセスも評価の対象にするという「アクティブラーニング入試」(昨年の難関思考力特待入試から名称変更)です。
二つの入試形態のどちらも、唯一の正解を求めるものではありません。もちろん何でも正解というわけではなく、より高い評価を得るために必要な条件はあるでしょうが、一つの考え方しか許容しないということではないのです。
入試でそのような問題を出題することは、当然採点の難しさを生み出します。おそらく採点許容をめぐっては非常に長い討議が行われるに違いありません。さらに、そのような議論ができるためには、同じ評価軸がベースにあることが前提となりますが、その評価軸づくりをかえつ有明では1年以上かけて行ってきました。「知のコード」プロジェクトがそれです。このプロジェクトでは「思考=知」を9つのカテゴリーに分け、論理思考、クリティカルシンキング、クリエイティブシンキングなどの思考力を、入試や授業、そして評価に組み込むことを可能にしています。
先月、TOK型哲学授業の教員研修があるというので、見学させていただきましたが、それぞれの独自の意見を持っている先生同士が、相手が意図していることに配慮しながら粘り強く議論を進めていく様子を見て、やはり、ここに思考力入試のヒントがあると思い至りました。
見学した授業研修は、TOK型哲学授業の研修で、なぜ歴史を学ぶのかというトピックについて、歴史と過去の違いを考えながら<哲学的対話>を進めていました。すぐに安易な結論を求めて妥協するのではなく、かといってすぐに反論するのでもなく、相手の意見や考えに立ち止まって考えてみるという態度。それは、正しい/正しくないといった二分法ではなく、相手の発言がどの思考カテゴリーから発せられたものであるのかを捉えようとする見方から生まれるのでしょう。時に深く沈黙の時間があるかと思えば、笑いがどっと起こる場面もあり、お互いが心を開いてリスペクトしていることがひしひしと伝わってきます。
研修が終わってからファシリテーター役の木之下先生に尋ねてみると、E・H・カーやH・G・ウェルズの歴史観は当然事前に調べてあったということでした。ただ、それを出してしまうことで議論や対話が終息してしまうのがいやだったとお話されていました。知識・正解主義の人は、「歴史と過去の違いについてE・H・カーは次のように述べています」などとレクチャ―を始めるのかもしれませんが、かえつでは、そこはじっくりと時間を取って対話するのです。
かえつ有明の思考力テストを受ける生徒にはぜひこのことを感じ取ってほしいと思います。思考力がすぐれている/すぐれていないという発想ではなく、人の考えに寄り添っていこうとする気持ち、あるいは、自分の弱い部分も自覚できる素直さを持っていればきっとそれが合格につながる、そういう入試だと考えてそれほど大きくは間違えていないと思います。