現役東大生による「Tweet about 東大講義」 第2回

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美学芸術学特殊講義 月曜3限

戦後日本を「聴く」:「記録の時代」のレコードとラジオ 講師:渡辺裕教授

 

さて、先週に引き続いて再び1964年の東京オリンピックの記録映画についての講義だ。三限は13時からなので普通は余裕で間に合うはずなのだけど、今日は前日に徹夜で高校の同窓会をやっていたので寝坊してしまった。

30分ほど遅れて教室に入る。大学の講義は基本的にはどんなタイミングで入退室をしてもなにも言われない。しかしやはり教授が話している最中にドアをあけて入室するというのはちょっと緊張する。すでに席に座って講義を受けている学生たちも何人かはこちらを見る。僕は正直にいうと遅刻魔なのでもうそんな視線は気にならなくなったが、空いている席がなかなか見つからなくてウロウロしているときは流石に恥ずかしい。よく高校生の頃はあんな時間にちゃんと遅刻せずにいられたなあと思う。

とにかく講義だ。今回は当時、日本チームが「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールの決勝戦を見た。決勝の相手はソ連。試合は最終的にソ連の選手の反則点で日本の優勝が決まった。講義ではその瞬間の映像の編集の仕方を扱っていた。映画の編集では、反則の瞬間に笛が鳴ってすぐ試合が終わったように見えるけども、実際は反則があったことに気づくのに数秒かかっているのだ。記録映画としてこの編集はアリなのか、という問題だったが、それより僕は選手たちの風貌に心を奪われた。

当時は全日本選抜チームといったものは存在せず、カネボウという企業のチームがずば抜けて強かったために、カネボウチームがそのままオリンピックに出場していた。選手たちはプロバレーボール選手というわけではなかったので、日中は紡績工場で働き、その後練習を行うという生活を送っていたわけだが、それがとんでもないハードさでビックリする。その様子を撮ったドキュメンタリー映像があって僕らはそれを見たのだけど、監督がいわゆる鬼コーチというやつで、リアル『アタックNO.1』の世界だった(僕は読んだことないけど、そんなイメージは浮かんだ)。こんなん今の時代にはとても許されないよ!というスポ根具合だった。なんというか今の日本のバレーボール界はやたらポップだ。いやバレーボールに限らず卓球とかバドミントンとかもそうだけれども、屋内(女子)スポーツ界はいつからかとてもポップで、親しみやすい雰囲気になった。選手たちの中にもアイドル的に取り上げられる人が出てくるようになり、キラキラと温かい目線で見られるスポーツとなった。

もちろんそれが悪いことだなんて少しも思わない。むしろ敷居を下げ、多くの人に応援されるようになることでそのスポーツの選手を目指すようになる子供も増え、その界隈は活性化し、より強力な選手が育っていくことになるだろう。

しかしなんだろう、あのカネボウチームの選手たちの纏うオーラは......僕には彼女たちがバレーボールを好きなのかどうかも判断がつかなかった。カッコいいとか、楽しそう、といった感情を経由することなく――いやもしかしたら彼女達ももちろん最初そういった憧れからバレーボールを始めたのかもしれない、わからない――ただ自分はバレーボールをやっているから、やるからには勝つ、といった軍人にも近いような強烈な精神を持っているように僕には見えた。

いまはもうスポ根なんて流行らない。苦しい=強くなれるなんて時代は終わったのだ。しかしそれでも、理不尽な苦しさをくぐり抜けた先にある強靭さというものが確かに存在するんじゃないかと、「東洋の魔女」たちの姿を見ると感じてしまう。 (千代田修平:東京大学4年)