卒業式の季節

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◇卒業式シーズンの3月が始まりました。今日はかえつ有明で卒業式があり、私も列席させていただきました。

 

◇今年の卒業生は、かえつ有明が中高一貫校になった時の第1期生です。担任の先生が中学1年生からの持ち上がりということもあるでしょう、まず感じたのは、生徒の門出を祝う先生の思いの深さです。卒業証書授与に際して、それぞれの先生が一人ひとりの名前を慈しむように読み上げているのが印象的でした。先生によっては一度も出席簿に目を落とすことなく、つまり生徒のフルネームも出席番号順もソラで覚えていることが当然の礼儀であるかのごとく、生徒の名前を誇らしげに口にしている方もいました。生徒の名前を読み上げるのもこれが最後だという熱い思いがあったのでしょう。

 

◇卒業式でもう一つ感じたことは、今年は震災後の再出発元年なのだということです。昨年の311日、かえつ有明には部活動や春期講習で大勢の先生と生徒が残っていました。交通機関が完全に止まり、帰宅できなくなった生徒全員に教職員がカレーや味噌汁の炊き出しをしたのですが、卒業生の保護者代表はそのことを感謝の念とともにお話されていました。体育フェスタや文化フェスタ、それにロンドンとパリへの修学旅行・・・等。生徒が共有した思い出はたくさんあったことでしょう。しかし、今年の卒業式が、あの体験を経た後の節目だということが大きな意味を持っていたと思います。それは、嘉悦校長先生の贈る言葉にも、在校生の送る言葉にも共通していました。

 

 ◇嘉悦校長先生は、このような国難とも言える時代を力強く乗り越えるメッセージとして騎士道精神に触れ、敗戦濃厚だった1945年に任命された鈴木貫太郎首相が、敵国であるアメリカのルーズベルト大統領の死の報せに弔電を発信したことは、日本の国の品格を世界に知らしめたというエピソードを伝えていました。

 

◇在校生代表からは、ケンブリッジで「日英高校生サイエンスワークショップ」に参加した際に福島からの高校生と知り合いになり、震災がテレビを通じた「向こうの出来事」ではなく、まさに現実であることを痛感したことが語られました。そして、人と人が、時代と場所から離れて存在しているわけではないこと、2期生である自分たちが先輩である1期生から学んだことを次に伝えていく存在であることを力強く話していました。

 

◇卒業式は、自分がかつて(数十年前に)生徒であったときもそうですが、人の涙腺を刺激する感動にあふれています。社会に出たら、先生にならない限り卒業式なんて縁がなくなってしまいますが、こういう節目は大人にも必要なのではないかと思います。