「21世紀に求められる能力」を考えるセミナー(4)
思考は問いの形で始まる、そして、知識あるいは思考が活用できる状態というのは、それぞれが一つになっている状態のことである。知識ばかりを独立して問う従来型のテストでは、解なき社会をサバイバルすることはできない。セミナーの問題意識は、生徒の関心と思考の関係、思考のテクニックへと向かっていった。
聖学院の本橋先生(写真左)と工学院附属中高の有山先生(写真右)は、学校で思考力テストを実施している経験を踏まえ、思考が活性化する際に「関心」が大きく影響することについて強調されていた。
まず、本橋先生は、思考が活性化する(大島先生の表現では「知のネットワークが広がる」)際に、どの方向にどれだけ進むかは個人によって異なることに触れた。
有山先生は、工学院で思考力セミナーを実施したときに「トイレ」という意外性のあるテーマにしたことで子どもたちの関心が集まったことを述べた。つまり、そこにはサプライズがあったわけである。それは八雲学園で日々サプライズの教育をされている菅原先生の関心ともぴたりと一致した。
生徒の関心を無視して思考を活性化しようとすることは無意味である。この21会学習理論部会のWebセミナーが示唆に富んでいるのは、関心を引き出すための仕掛け、問いの場の設定やサプライズまで考えに入れて議論している点である。さらに、知識や問題の難易度を設定するのではなく、「知識⇔思考」の領域をブルームやマルザーノのタキソノミー的視点で捉えている点にある(タキソノミーの意義については本間勇人氏のブログ記事を参照していただきたい)。
本橋先生は、知識について次のように述べている。
知識は、決して論理の文脈だけではなく、先ほど菅原先生がおっしゃったように、意志や配慮という気持ちも、サプライズという躍動感、これは心理活動と身体活動の両方を含んでいますが、そういうもの全体が絡んで、「関心」という場を形成するという、最初の話に戻りました。しかし、そこからまた、もともと関心のない場に子どもを連れていったとき、そこから問いはいかにして生まれるのかという新しい問いが生まれてきたような気がします。
この発言も深い。「論理」、もっと言えば、目的合理的な観点でのみ知識が語られてきたのが20世紀型教育ではなかったのか、価値合理的な「信念」とか、あるいは非合理的だと思われている「感情」が知識と密接に関係していることを忘れてきたのではないかという問題意識がはっきりと示されているからである。ちなみに、IBのTOKでもfaithやemotionはWay of Knowingの一つとして提示されている。
大島先生が問題提起された、思考のテクニックについても、単なる論理操作のようなものではなく、知識と一体となったものとして議論がなされていた。
菅原先生は次のように話す。
知のネットワークが、思考のテクニックにかかわっていることがわかりましたが、いわゆるテクニックではなく、知識の身体の部分のようなものですね。私たちが、知識と思考を一元論化したとき、知識が身体化するということが腑に落ちました。何より「サプライズ」ということが知識と思考の関係で生まれるということも、言われてみれば当たり前ですが、新鮮でした。
このあたりはPBLとの関連でまだまだ議論が発展しそうな領域であるが、次回セミナーの機会の楽しみにしておくことにしよう。