多国籍授業の時代
今年も帰国枠大学受験の対策シーズンがやってきた。帰国生専門教育機関のJOBAで大学受験生を指導していて感じるのは、「デュアルナショナリティ」の生徒の増加である。
この秋に大学受験を控えているクラスは、「デュアル生徒」の比率が4分の1である。アメリカ、韓国、そしてモロッコの生徒もいて、国際社会や文化についての議論がよりリアリティのあるものになっている。つまり、領土問題や日米関係、あるいは文化摩擦などの小論文テーマを考える際、自分の意見が他国の人の目にどのように映るかといった視点、あるいは自国民以外の価値観も視野に入れた発想が求められる学習環境になっているのである。
もちろん、こういった視点は様々な国籍の生徒がクラスにいなくても、頭で理解することはできる。しかし、目の前にそのような存在が感じられるのと感じられないのとでは、意見を発表するときの表現が微妙に変わってくる。これは教えている側にも言えることである。
面白いのは、彼らがこのような環境にすぐに適応していくことである。フランスからの帰国生は、バカロレア試験を話題にしてモロッコの生徒とすぐに打ち解けるし、韓国籍を持つ生徒は、韓国国内における日本の報道について、日本人よりの立場で情報を提供しながら、他の生徒と意見を交換する。
単に表面的な思いやりで仲良くしようとか、相手を気遣って二国間の問題に触れないというのではない。まして相手を面と向かって非難するのでもない。相手と自分の立っている場所が異なるということを前提にして、対話を深めていくという態度が自然に習得されているのだ。
そのような様子を見ていて、クラスが多文化多国籍であることは、グローバル社会で必要なリテラシーを学ぶ上で非常に有効な環境であるのだと改めて気付かされた。
奇しくも今年から早稲田大学の外国学生入試では、国籍を日本以外とする縛りを外し、日本国籍であってもその他の必要な条件を満たしていれば受験資格が得られるようになった。国籍やシチズンシップについて再考するべき時代が到来したということであろう。