【2017年中学入試に向けたメモ①】 グローバル教育の質的変化

2015年度は、21世紀型教育を創る会(21会)の会員校の取材、あるいは首都圏模試センターの講演準備の取材などを通して、私立中高一貫校の新しい動向について色々勉強させていただきました。取材したことは、その都度21会WEBサイトや首都圏模試の講演などで公開してきましたが、年度末ということもありますので、これまでの取材を振り返りながら次年度に向けて自分なりに気づいたことの棚卸しをしておこうと思います。今回はグローバル教育の質的変化についての覚え書きです。

先日順天高校のスーパーグローバルハイスクール(SGH)報告会に出席し、SGHの活動の実践を確認してきました。

順天のSGH報告会については、21会サイトに掲載した次の記事をご参照ください。

順天のSGH活動では、フィリピンの貧しい村でのフィールドワークが生徒の探究心のトリガーとして機能しています。生徒の探究心は表面的な知識の獲得で終わらずに、行動の変容につながっているのです。GLAP(Global Leaders Action Project)というプログラム名が「アクション=行動」の重要性を明確に示しています。もちろん、ここでの行動の変容というのは、外からの強制ではなく、内面から突き動かされる力であり、自分の行動が変わることによって、他者の行動もまた変容していくといった行動の連鎖を意味しています。つまり、変容を受けることと変容を促すことが表裏一体なわけです。その意味で、この変容は、個人的なものでもあれば社会的なものでもあると言えます。

UNESCOはグローバル市民教育について、次のような図を用いて図式化しています(GCEはGlobal Citizenship Educationの略)。 

CRITICAL THINKINGの右下に「Action & Transformation」(行動と変容)とあるように、行動の変容が起こるときには、批判的思考が関係していることが示されています。フィリピンに行って想像を絶する貧困の現実を見た生徒たちは、自分が馴染んでいた世界とは異なる現実に衝撃を受け、従来の価値観が揺るがされます。そこでは確かに、今までの自分が当たり前だと思っていたことに対する批判的思考が動き出すはずです。それが自己変容のトリガーということです。

そんなことをしても大学入試には出ないし、生徒のモチベーションにはならないだろうという考えは、大学入試改革の話が具体的に進んだ2015年以降は通用しなくなりました。高大接続のあり方が従来のような選抜テストを必ずしも前提としないことが明らかになったからです。SGH指定の条件に、大学との連携が必須であったのは、その辺りのことを見越していたからなのかもしれません。

UNESCOの図の左側には、DIALOGUE(対話)という文字があります。ここでの対話は、現地の人との対話だけを指すわけでないでしょう。Universal values (普遍的価値)に対してのconsensus(合意)を形成する対話ですから、同じプログラムで学んでいる仲間との対話も含みますし、現地で出会う他国のボランティアとの対話も含みます。

順天のSGH報告会で、プレゼンテーションをした生徒の一人が、現地で他国のボランティアと一緒に活動するときに、自分の考えが英語で的確に説明できなくて悔しい思いをしたという趣旨のことを話していました。当然そのことは彼女の次のモチベーションとなって、英語の学びにつながっていくわけです。

また、2月21日に実施された「21会中学入試セミナー」で聖学院の戸邉校長先生は次のように語っていました。

タイの貧しい村で暮らしているとき、欧米の人たちが大勢その村に立ち寄るのに対して、日本人がほとんど訪れてこないことはとても残念・・・。そこには人と人とのネットワークという何にも代えられない貴重なものがあるのに、多くの日本人がそれに気づかずにいる。

21会サイト「第2回 21会中学入試セミナー」レポートより

この言葉が非常に示唆に富んでいると思うのは、世界中から集まってくる人たちのネットワークに注目している点です。日本人はともすると、グローバルを英語圏という範囲に限定して捉えがちで、タイの貧しい村に行くことに何のメリットも感じられないのかもしれません。しかし、現実は、そこで世界中の人たちと英語を通してコミュニケーションを行い、ネットワーク構築がなされているわけです。FacebookやLinkedinは、そういうネットワークを支援するツールとして大いに重宝されています。日本では、就職した会社から、ソーシャルメディアの利用に制限を加えられることすらあるらしいので、グローバル市民への道のりはまだまだ遠いかもしれません。

ただ、こういった対話によって普遍的価値に目覚めると、日本国内で行われている進路指導とか受験指導といったものが一気に相対化されます。この現実を前にして、偏差値の数字は何なのかという思いに打たれていくでしょうし、それが本当の意味で探究のトリガーになるのではないでしょうか。

念の為に補足しておくと、貧困などといったグローバルイシューを知ることが他の学びよりも大切だと主張したいわけではありません。グローバルイシューを知ること自体が目的なのではなく、その現実を直視することによって、普遍的価値は何なのか、何のために学んでいるのかという問いに生徒が目覚めるということが重要なのです。それが探究に、そして大学での学びにつながっていくというのが、大学準備教育のあり方でしょう。そういうことをプログラムに組み入れている学校が例えば順天であり、同じく21会校でSGHの富士見丘であるわけです。富士見丘の活動については、私立学校研究家の本間勇人氏が21会サイトに記事を掲載しています。

生徒たちは、苦しみます。なぜなら、それはアメリカや日本という先進諸国のあり方を問いかえすことでもあるからです。自分たち自身が、他者の犠牲のうえに幸せに生きているかもしれないということに気づいてしまうわけです。

基本はグローバルイシューが、自分事として結びついてくることに気づくところを大切にしています。外から与えられた客観的知識を、まずは主観的に捉え、今度はグループディスカッションによって相互主観的に捉えかえして深めていくうちに、客観的知識の背景や歴史的経緯が開かれて、その文脈に立っている自分に気づきます。

記事の引用箇所から、生徒の中に批判的思考が働き、探究に向かう内面のプロセスがよく分かります。富士見丘にしても順天にしても、SGHに指定されるずっと前から国際理解教育を行ってきています。その蓄積があるからこそ、SGHに指定も受けたわけです。

もう一つ忘れてはいけない学校が聖徳学園です。聖徳学園では、高2生全員が国際貢献授業に参加し、自分たちができることを、実際の行動に移すことが期待されています。

2015年の12月に取材に行った際、プロジェクトリーダーの山名先生は次のように話していました。

日本に住みながらも国際感覚は養えるということを学校現場が理解し、それを実践していくことが日本が世界と対等に向き合える国として成長していくことなのではないかと私は考えています。

今回の授業はそうしたコンセプトのもと実施しました。実際にアクションを起こすということまで求めたのは、何かしらのアクションを起こすということは難しいことではなく、ただ自分のアイデアと意識、そして仲間の協力があれば誰でも出来ることなのだということを生徒達に理解して欲しかったからです。

ここでもやはり「実践」「行動」がプロジェクトの鍵となっています。

これらの学校のグローバル教育活動の共通性はどうやら次のようなことではないでしょうか。

グローバルイシューなどの直視(体験)→グローバル市民としての自覚の芽生え→クリティカルな振り返り→個人の行動の変容、周囲に対する影響

 それぞれの学校で日々行われている学びは、もちろんもっと複雑なプロセスをたどっているでしょうが、今後のグローバル教育を考える上で、私自身の覚え書きとする意味でまとめておきました。