TOKの取材を通して感じたこと-かえつ有明

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◇先日、かえつ有明のTOK授業を取材する機会を得ました。詳しくは21世紀型教育を創る会(21会)のWEBサイトでご確認いただきたいと思いますが、大変刺激を受けると同時に、改めて20世紀型の日本の教育の問題点を痛感することになりました。

◇TOKは、Theory of Knowledgeの略で、Knowledgeとは言っても、いわゆる日本語の「知識」ではなく、むしろ「思考法の理論」とでも訳すべき科目です。

◇IBディプロマでは、6つの教科を選択しますが、その教科とは別に、Extended EssayとTOKが評価対象となっています(課外活動のCASというのもありますが、Grade評価はされません)。中でもTOKは学際的科目で、かつ6教科のコアを担っているという意味で、IBDPの中でも重要な科目なのです。

◇そう書いてもまだピンと来ない方も多いと思いますから、例えばこういうタイトルでEssayを書く科目と言えば、イメージが湧くかもしれません。

“Truth is that to which the community ultimately settles down” (Charles Peirce). Analyse and evaluate this claim.

意訳すれば、「真実とは究極的にはコミュニティが合意するところのものに過ぎない」といったところでしょうか。この際、チャールズ・パースがどういう人であるかはとりあえず措くとして、私が問題にしたいのは、こういった課題に取り組む高校生が日本に一体どのくらいいるだろうかということです。能力的なことで言えば、日本の高校生でも十分に書くことができるものでしょう(ただし「日本語で」という条件がつきますが)。しかし、大学入試に向けて勉強をせざるを得ない多くの高校生にとっては、取り組んでも時間の無駄だと思われてしまうかもしれません。哲学なんて役に立たないと大人でもそう考えている人が多いですから。

◇かえつ有明は、IB校ではありませんが、まさに先見の明と言うべき見識によってTOKによる哲学授業や、クリティカルシンキングを育成するサイエンス科をカリキュラムの核に据え、21世紀型教育を実践している私立学校です。

◇今回、TOKの授業を見学し、中学生が対話を、そして討論を、積極的に行う様子を目の当たりにし、やはりこういう授業を行うGood Schoolを紹介していかねばという思いを新たにしました。

◇大学受験のための勉強をせっせとすることは、かつては「セコイ」と思われていました。予備校ですら、受かるテクニックより本質的な学びの楽しさを教える講師がたくさんいたと聞きます。今は結果主義というか、「とにかく受かればそれでよい」とった風潮が強いのかもしれません。社会全体が恥も何もなく、とにかく目先の得ばかりを追い求めているようです。

◇学歴社会がいよいよ成熟してきたということでしょうか。優秀な人材が批判的思考を封印して保守に回れば、革新派はどんどん劣勢に立たされます。社会全体の便益を増加させるリーダーがいれば保守であろうと構わないのですが、パブリックマインドのないエリートが社会を牛耳ると、Social Mobility が失われて、社会が停滞するのではないでしょうか。

◇だからこそ、21世紀型教育が必要となるのです。