国立大二次試験(前期)始まる―東大国語
◇昨日は、国立大学の前期試験の第1日でした。東京大学では国語と数学が実施され、早くも予備校のサイトには問題が掲載されています。
◇国語の第一問は、この十数年不動の形式で、傍線部の説明問題4問と、課題文全体の論旨に関する120字記述問題が1問、そして漢字の書き取りが5問です。課題文は、近代科学がもたらした機械論的自然観や原子論的還元主義が、環境問題の根底にある物心二元論を生み出したことを、やはり近代社会において伝統的共同体から解放された自由な主体としての個人が出現したことと絡めながら論じた文章です。
◇文章の難易度は例年より易しめであるように感じられました。例年通り、設問はすべて記述式ですが、いずれも著者の主張を読み取り、著者の使用する表現を用いて記述するタイプです。傍線部表現の各部分に対応する言い換えを探し、体言修飾などの記述力を駆使して、わずか二行の解答欄の中に収める必要があります。
◇この手の記述問題は、確かにある種の読解・記述力を測るものです。文脈を正確にたどり、文や語相互の関係を捉え、必要な部分を抽出する高度な力が必要です。一方で、著者が述べていることを正確に捉えればそれでよいとする点(その意味では問5の120字記述も同じカテゴリーの設問です)で、受験生に要求する国語力を狭く限定してしまっているとも言えます。
◇小論文などで「意見まがいのもの」を書かせなくても、正確な読解力があるかどうかによって、小論文を書く力もわかるという考えもあり、これは私も大筋では同意見ですが、だからといって意見文を書かせなくてよいということにはなりません。受験生に意見を書かせることは、現状の能力を測るというよりは、どういう学力をつけてほしいかというメッセージを与えるという意味で大きな影響があるのです。
◇アメリカの難関大学では出願書類のEssayが大きなアピールになります。また、国際バカロレアのLanguage A(母国語)でも、文学作品の比較コメンタリーなど、生徒独自の「評論」が求められます。日本の大学では、慶應義塾大学(特に総合政策学部と環境情報学部)が論文の出題にこだわっているくらいで、全体としては意見文・評論文を書かせるという試験への意識が弱いようです。
◇その点、中学入試の世界では、意見を書く記述作文力が重視されていて、救われるのですが、それについてはまた別の機会に書くことにします。